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先進地視察研修

令和元年度 先進地視察研修レポート〜前編〜

日時 令和元年11月8日(金)・9日(土)
場所 宮崎県日南市・油津商店街 MAP

今年も松山市商業振興対策事業委員会主催の商店街視察・研修が行われ、市駅前商店街会や大街道中央商店街振興組合、松山銀天街商店街振興組合など9商店街の方々と松山市地域経済課、松山商工会議所、まちづくり松山、松山市商店街連盟事務局から、あわせて13名が参加しました。

視察研修地は、宮崎県日南市の油津商店街、大分県大分市府内五番街商店街、そして新しく生まれ変わったJR大分駅。

前編では、宮崎県日南市の油津商店街をたずねた一日目を振り返ります。

広島カープのキャンプ地として知られる油津へ

天候にも恵まれ、絶好の視察研修日和となった118日、一行はバスと船を乗り継ぎ、宮崎県日南市へ向かいました。早朝に松山を出発して約10時間、ようやくたどり着いた油津商店街。油津は、50年に渡り広島カープがキャンプに訪れる街としても知られています。

 

今回は街の拠点施設「油津Yotten(よってん)」にて、油津商店街再生事業のキーパーソンである株式会社油津応援団代表取締役・黒田泰裕さんにお話いただきました。

黒田さんは、日南市商工会議所事務局長を経て株式会社油津応援団を設立。中小企業診断士としてのノウハウを生かし、商工会議所時代から中心市街地活性化事業に尽力されています。

漁業の街として栄えた油津商店街

実は、一本釣りマグロの水揚げが東洋一という油津。昭和初期より漁業の街として栄え、歓楽街や商店街が発展していったという歴史があります。昭和30年〜40年代には250mL字型商店街に衣料品店や靴屋、薬局など80店舗ほどがぎっしりと軒を連ね、大変な賑わいぶりだったそう。「当時は油津に店を出すのが商人にとって一つのステイタスだったんですよ」と黒田さん。

 

しかし近年、地域全体の人口減や郊外型店舗の進出に影響を受けた商店街は、空き店舗が増え衰退化。「アーケードがあるのに灯りがついていないため、昼間でも暗いシャッター商店街になっていました。誰も人が通らないから、子どもたちが野球をしていました」。

そんな商店街の再生事業が始まったのは2013年。日南市の中心市街地活性化計画のエリアとして油津商店街が選ばれたのです。

“ネコさえ歩かない”と言われた街の再生事業

宮崎県日南市という小さな地方都市にある小さな商店街の再生事業として、まず日南市はテナントミックスサポートマネージャーを全国から公募しました。そのミッションは、4年間という事業期間中は油津に移住し、シャッター通りと化した250mの商店街に20店舗を誘致すること。全国から333名の応募があり、書類選考で絞られた9名による最終審査(商店街内での公開プレゼンテーション)の結果、木藤亮太さんに決定。当時38歳の木藤さんと、20134月、当時33歳で日南市長に初当選し、九州で最も若い市長と話題になった崎田恭平市長、そしてもう一人、マーケティング専門官として元リクルート社員の20代、田鹿倫基さんが加わった3名の若い世代が事業を担うことになりました。

真っ暗な商店街に、どうやって店を誘致するのか?

20137月より始まったテナントミックスサポート事業でしたが、思うように店舗の誘致が進まないまま年は明け「その時点でまだ1店舗も入っていなかったため、日南市議会で議題にも挙げられました」と黒田さん。真っ暗なシャッター通りである油津商店街で新規出店してもらうためにはどうすればいいのか?その難しさに直面するなか、黒田さんは若い力をサポートするための会社をつくろうと決意しました。それが、20143月に設立した株式会社油津応援団。当時日南商工会議所の事務局長を務めていた黒田さんと飲食店経営の村岡浩司さんと木藤さん。3人で30万円ずつ出し合って資本金90万円でつくった小さな会社です。現在は出資者が40数名に増え、資本金1800万円の会社に成長。地元の若者やUターン者らが社員として活躍しています。

最初の店舗づくりは「ABURATSU COFFEE」

油津応援団の最初のプロジェクトは、長年地元で愛されていた喫茶店のリノベーション。当時は大変賑わったお店でしたが、10年ほど前に閉店。そのままの状態で残っていたところをまず1店舗目としてオープンしようと企画したのです。

「ここは内装もきっちりと残っていて、建築的にも素晴らしい。日本にはかつてこういうタイプの喫茶店がたくさんあったのですが、どんどんなくなっている。奇跡的に残っていて良かったですよ」と黒田さん。

リノベーションの資金としては、地銀からの借り入れに加え、市民への出資を募ったところ一千万を超える出資が集まったそう。そして、工事自体にも市民の力を借りることに。「業者に頼めば簡単にできますが、みんなでやることに価値があったんです。ここは地元の方それぞれに思い入れのある場所ですから」と振り返ります。

 

こうして20144月にオープンした「ABURATSU COFFEE」は、地元の飫肥杉を使用した天井が印象的な明るい空間に。カウンターや厨房などは新しく作り変えましたが、ステンドグラスやテーブル席など残せるところはできるだけ残し、この土地ならではの店づくりを意識しています。「ABURATSU COFFEEは再生物語の大きなポイントになる」という黒田さん。カフェが街をつくる。その第一歩になりました。

眠っていた空き店舗を、人の流れを生む場所に

その後、2店舗目として、豆腐店のご夫婦がランチを提供する店が入ることになり、黒田さんら油津応援団は、店の設計デザインを手伝うことになりました。予算をできるだけ抑えるために廃材なども活用し、かつて呉服店だった建物はおしゃれな暖簾を掛けた「二代目湯浅豆腐店」に生まれ変わり、201412月オープン。開店当初、豆腐のアレンジメニューは地元高校の栄養士の先生に相談してつくってもらったそうです。

 

続く3店舗目、商店街の中心にある約1,000㎡のスーパーマーケットのリノベーションに着手しました。「かつて商店街の核であったここが真っ暗だったのが大きかった。ここを変えなければいけないと思い、子どもからお年寄りまでいろんな人が使えるスペースをつくろうと考えました」と黒田さん。

設計デザインには徹底的にこだわり、全国公募により寄せられた78のアイデアの中から吟味。その結果、多目的施設「油津Yotten」と屋台村「あぶらつ食堂」という二つの建物を中庭で結び、それぞれの空間がつながり合う場所が完成しました。

「何かやってみたい」を応援するという発想

「油津Yotten」は、情報発信ブースやスタジオ、スクール、フリースペースがあり、「まちに集まってこんなことをしたい」を実現する空間。さらに広島カープ公認の「油津カープ館」もあり、油津ならではのカープグッズも扱っています。

そして「あぶらつ食堂」は、10坪の小さな飲食店が並ぶ屋台村。「商売をやりたい」「地元に帰って店を出したい」と思っている人の創業支援をするという発想で店舗をプロデュース。Uターンしたご夫婦やホテルから独立した料理人らがそれぞれの経験を生かした飲食店を開いています。

 

さらに創業支援の取り組みとして、「油津Yotten」の向かいの空き地を「ABURATSU GARDEN」と名付け、コンテナを使った店舗を企画しました。「コンテナは実験店舗という位置付けなんです。小さいので一人で切り盛りできるから人件費もかからない。だから売上がそれほど多くなくてもみなさん利益はしっかりあげています」と話します。

街に必要なのはサードプレイス

「最近の若者は、街に出るとカフェで仕事や読書をしますよね。私たちは、そんな家でもない会社でもない第三の場所・サードプレイスを街に用意しなければならないのですが…今一番サードプレイスが充実しているのは大型ショッピングモールなんです」と黒田さん。映画を観て、ランチを食べて、適度にウォーキングもできる。街の中に用意しなければいけないものを郊外に奪われているといいます。

「サードプレイスは人が集まる場所。自分のためになる場所。自分を認めてくれる場所だから人は集まるんです。ですから、街にそんな場所をつくれば、自ずと人は集まってきます。商店街にはたくさんお店があって、いい商品が並べばいいという考え方から脱却し、人が集まる場所をつくるという方向性へ。ただ、その運営を自治体に頼るのではなく、民間主導で行うことが大事。市民に参加してもらい、巻き込むまちづくり。それが街をプロデュースする人材育成にもつながっていきます。私たちが油津応援団をつくって56年になりますが、着々と次の世代が育っています」

かつての再生ではなく、新しいまちづくりを

「これだけ人口減が続く中、かつての人が溢れていた風景が戻ることはありません。そのイメージを持って再生というのではなく、多くの人が活躍できる場所、創業の場所をつくろう。商店街をビジネスの街にしようと考えました」。黒田さんは、中小企業診断士として創業をめざす人々への支援を行い、その結果4年間で29店舗がオープン。20店舗誘致というミッションを見事達成しました。このことが評価され、経済産業省の「2016年はばたく商店街30選」を受賞。

ここで注目したいのが、新規企業の顔ぶれ。29店舗のうち17件はいわゆる店舗ですが、12件はIT企業なのです。東京にあるIT企業が油津にサテライトオフィスを構えるという例が増えてきたことで、街で商売をする人だけでなく、街で働く人が増加。そんな若者がランチをして、仕事終わりに飲みに行って、買い物をする。かつての再生のまちづくりではなく、創業と雇用の街として生まれ変わりました。また、IT企業で働くお母さんたちの子育て支援として商店街に保育園も誕生。カープキャンプに訪れるお客さんの受け入れとしてゲストハウスができるなど、人が集まる仕組みづくりは広がりを見せています。

地域の中で経済を循環させる仕組みをつくる

「才能ある若者が創業する環境をつくり、それを見守り支える」ことを念頭におき、テナントミックス事業に取り組んできた黒田さん。中心市街地活性化事業の課題として「最終的に誰がやるの?」ということだといいます。

「油津では、油津応援団が補助金をもらって事業を展開しましたが、どんな規模の街でも、油津応援団というような団体を、自治体に頼らず民間でつくることが大事。商店街の人だけで活性化をするための資金を生み出すことは難しいですが、力のある人や市民のみなさんを巻き込み、参加してもらうことで街は変わります。そして私たちは、人口が減り続けている今こそ地域の中で経済循環をしていくことに目を向けています」

株式会社として油津Yottenやゲストハウスなどを運営し、しっかりと利益をあげて新たなビジネスの足がかりに。そんなバイタリティあふれる黒田さんのお話を、参加者のみなさんは興味深く聞き入っていました。

 

講演後は、油津商店街を散策し、「ABURATSU COFFEE」や「ABURATSU GARDEN」のコンテナショップを見学。すっかり日も暮れた時間帯でしたが、ポツポツとあかりの灯るどこか幻想的な雰囲気は夜ならでは。続く懇親会では「あぶらつ食堂」の各店舗さんの料理のおもてなしと美味しい焼酎を堪能し、楽しい夜は更けていきました。

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