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先進地視察研修

平成30年度 先進地視察研修レポート~後編~

日時 平成30年10月28日(日)・29日(月)
場所 埼玉県川越市、東京都中野区 MAP

今年も松山市商業振興対策事業委員会主催の商店街視察・研修が行われ、市駅前商店街会や大街道中央商店街振興組合、松山ロープウェー中央商店街振興組合など9商店街の方々と松山市地域経済課、松山商工会議所から、あわせて17名が参加しました。

 

視察研修地は、千葉県柏市の柏二番街商店会・柏銀座通り商店会、埼玉県さいたま市内浦和地区・浦和駅周辺、埼玉県川越市の川越一番街、そして東京都中野区の中野ブロードウェイ。

 

後編では、埼玉県川越市にある川越一番街、東京都中野区の中野ブロードウェイをたずねた二日目を振り返ります。

商人の町として栄えた城下町・川越

引き続きお天気に恵まれた二日目の朝、一行は宿泊先の埼玉県さいたま市浦和区から川越市に向けて出発。

 

川越一番街商業協同組合による研修会は、築90年にもなる建物を活用した川越商工会議所にて行われました。川越一番街商業協同組合の神田善正副理事長より「川越一番街商業協同組合の取り組みと今後の課題」と題してお話をいただきました。

 

江戸時代、川越藩の城下町として栄えた川越の町。城下町の整備にともない、城下は農産物や特産品の集積地として発展。新河岸川による舟運が川越と江戸との物資輸送に利用され、物流の拠点として町は大いに繁栄しました。

 

明治26年(1893)の「川越大火」で町は甚大な被害を受けましたが、国の重要文化財である「大澤家住宅」など耐火建築の蔵造りの建物は焼失を免れたそう。そこで改めて蔵造りの建築が見直され、街は蔵造りの建物による再建が行われました。その後、川越の町は戦火や震災の被害を受けることなく、現在も蔵造りの家並みが数多く残されています。

やがて近代化が進むにつれ、鉄道の敷設などにより商業の中心は城下町から駅の周辺へと移っていき、商店街となった街には看板建築が広まっていきました。

川越 コミュニティーマート構想

「私は呉服店を営んでいるのですが、かつての建物は祖父の時代に壊してしまい、現在は鉄筋ビルになっています。商店街には近代的な看板建築が増えてきたこともあり、昭和50年代頃から町並みを守るため、どうにかしないといけない意識が芽生え始めました」と神田さん。

そこで立ち上がったのが「コミュニティーマート構想」。川越一番街商店街活性化モデル事業推進委員会として補助金を受けたことが分岐点になったと神田さんは言います。

 

構想のテーマは「小江戸川越、歴史と文化のメッセージを伝える街づくり」。

具体的には以下のような事業を提案しました。

①「町並み委員会」を作って「町づくり規範」を策定する。

②規範に基づいて店舗を整備する。

③共同施設としてポケットパーク、電線地中化などの整備を進める。

④人寄せの核施設としてお祭り会館などを建設する。

川越一番街商業協同組合

川越一番街商店街協同組合は、昭和26年に発足しました。

札の辻から仲町交差点までの430メートルの通りに軒を連ねる約70店が参加してのスタートでした。

現在の組合員は約111店舗。理事の人数は理事長、副理事長を含む17名で、女性7名、男性10名、平均年齢は45歳。

「若い力に頼ってくれる先輩がたくさんいらっしゃったことが、現在に繋がっていると感じます。街が綺麗なまま残っている一つの要因ではないでしょうか」と神田さん。

 

「川越市で一番、人と人とのコミュニケーションを大切にしている商店街」と語る背景には、商店街の人々を巻き込んださまざまな活動があります。

その一つが、毎月1回、理事会とは別に開催している「あきんどの会」。「理事ではない組合員のみなさんにも知ってもらうために」と開いているこちらの会では、神田さんが座長となり、川越で商いをするにあたっての作法などをレクチャーしています。

「みんな何も文句を言わず実践してくれているので、これからはちょっとずつハードルを上げていこうと思っています」と、組合員の方々の積極的な反応に確かな手ごたえを感じている様子です。

 

また、組合では以下のような活動を実施しています。

・小江戸川越繁昌会 合同防犯パトロール(月1回)

・商店街マップの更新

・英会話ワークショップ

・夏まつり模擬店

・ライトアップ

・創作新春飾り

・二升五合市、江戸の日

近年の一番街商店街の状況

川越一番街商店街の活動のなかでも、特に盛り上がるのが「小江戸川越江戸の日」。

歩行者天国の商店街に江戸時代から明治の風情を醸し出し、まるでタイムスリップしたような雰囲気に。

商店街の店主やスタッフが江戸商人や町人に扮して訪れる人々をお迎えすることも評判となり、観光客アップの大きな要因になりました。

 

「平成元年、NHK大河ドラマ『春日局』が放送された頃から徐々に観光客が増え始めました。私個人としては、平成12年に店を継いだのですが、平成20年のNHK連続テレビ小説『つばさ』の舞台となったことで、ぐっと増えた感覚があります」と振り返ります。

さらに平成25年には横浜駅との相互直通運転が開始したこともあり、外国人観光客が急増。平成29年にはアジア圏や欧米を中心に年間約20万人の外国人観光客が訪れています。

インバウンド対策について

こうした外国人観光客の増加への対応として、組合員に向けたワークショップでのマンツーマン英会話を実施。外国人観光客へ向けた接客マニュアルを作成し、「外国のお客様にもおもてなしできるように」と取り組みを進めています。

 

また、外国人観光客が増えたことで、文化の違いなどから様々な課題が浮き彫りになってきました。

  • ゴミ問題

・食べ歩きのものが多いため、だんごの串や包み紙、コップなどのポイ捨てが目立つように。

海外にはゴミを拾う仕事があるので、植え込みや側溝、店舗内など、どこにでもゴミを捨てる人が多いそう。

  • トイレ問題

・飲食店で利用客ではないのにトイレに入って出ていく。

・物販店でトイレを勝手に探している。

・拭いた紙をゴミ箱に捨てる。汚すなど。

  • マナー問題

・レジの列への割り込み。

・私有地に入りこんでの飲食。

・禁止表示してあるのに写真撮影。

・食べ歩きで汚れた指を商品で拭く。

・車道を歩く。建物を撮影するために車道にはみ出す。

・無理な横断。

・私有地での喫煙。

・大声でのおしゃべりやスマホでの通話。

 

「食べ歩き品を売っている店ではその場で食べてもらい、ゴミを回収するよう声かけしてもらうなど、各店舗にいろいろ考えてもらい、ゴミを捨ててもらえるような工夫をしてもらいました」。

さらに、組合としては「目で見て分かるような対策」を実行。着物を着た人物を使用したマナー対策のピクトグラムを表示したり、着物を着たゴミ拾いの町人が街を歩いたりと、ゴミを捨てることが面白いと思わせる工夫を実践していきました。

これからの一番街商店街について

川越は観光地という印象が強いですが、「最初から観光地化を狙っていたわけではなく、自分たちの活動が現在に繋がったのだと思います」と神田さん。

個店の魅力アップや町並みの整備による商業活性化、商圏拡大など、後世により良い街を引き継ぐために継続してきた活動。地域住民の方々の協力もあり、「チェーン店の参入もありましたが、各商店が魅力ある店を目指したことにより、お客様が来てくれたと感じます」と話されます。

 

そして、今後の課題として、以下のような項目を挙げられます。

・各店舗のやる気を引き出し、魅力的な店舗を増やしていくこと。

日頃よりお店同士で活発に意見交換をするなど、商店街全体としての連携および団結力を強めていくことも重要。

・近隣商店街との連携によるインバウンド対策

川越菓子屋横丁会、鐘撞堂通り商店街、大正浪漫夢通り商店街、昭和の街の会などとの連携を図る。

・交通問題の解消

行政との関わりを持ち、一方通行や歩行者天国などの検討。

 

「観光目的だけでなく、『そのお店を目的に川越を来訪してくれるようなお店を増やしていくこと』が重要だと考えています」との言葉で締めくくられた研修会。

続く質疑応答では、「食べ歩きの町」川越ならではの課題や川越祭りについてなど、参加者から様々な質問が挙がり、実りある時間となったようです。

 

研修後は、神田さんとともに一番街や菓子屋横丁を視察。昔懐かしい小江戸の蔵造りの町並みを写真に収めながら、みなさん熱心に見学されていました。

サブカルの聖地・中野ブロードウェイ

川越を出発した一行は、最終研修地、東京都中野区にある中野ブロードウェイへ。

中野ブロードウェイ商店街振興組合の青木武理事長、金子義孝事務局長にお話をうかがいました。

 

まず、金子事務局長より、中野ブロードウェイ商店街の概要や近年の状況、取り組みなどについてご説明いただきました。

 

高度経済成長期真っ只中の昭和41年(1966)に開業した中野ブロードウェイ。今でこそ「サブカルの聖地」として有名ですが、当初は日本初の商業住宅複合ビル、ファッションビルとしてスタートしました。

その後、新宿や吉祥寺などにターミナルビルが相次いで建設され始めた頃から、ブロードウェイの集客力、売り上げは下降。空き店舗が目立つようになってきたのですが、そこに転機が訪れます。昭和55年(1980)、漫画専門の古書店「まんだらけ」が出店したことで、中野ブロードウェイはサブカルチャーの発信地として注目を集めるようになったのです。

 

「今も、中野ブロードウェイには『まんだらけ』の店舗が35軒くらいあり、売り上げもトップ。まんだらけを中心に、サブカル関係のフィギュアなどを購入される方も多いですね。また、3階の高級時計店の売り上げが伸びていますが、これは外国人観光客の影響が大きいです」と金子さん。

やはり「サブカルの聖地」だけあって外国人観光客が多く、インバウンド事業は積極的に展開されています。

「パンフレットは年間8万部ほど印刷していますが、持ち帰る方が多く、全然足りない状況です。日本語版、英語版など多言語対応していますが、意外と外国人の方にも日本語版のほうが人気です。お土産にされるようですよ」と話されます。

 

そのほか、館内に多言語対応のタッチパネルを設置したり、AR(拡張現実)を取り入れ、1000年後の中野を表現したカレンダーを作成したりと、様々な試みを実施。さらにジャパニーズ・カルチャーを発信するツールとして、ネット配信を行う計画もあるそう。商店街振興組合だけでなく、若い世代のメンバーを集め、様々な企画に取り組んでいるといいます。

中野のまちづくり〜中野の夢と文化の創造

中野ブロードウェイは、平成19年に商店街振興組合として法人化。ジャパニーズ・カルチャーを求める外国人観光客や若い世代の来街者が多いのですが、商店街としては「地域コミュニティ」を軸としたまちづくりを推進しています。

周辺の商店街や地域住民と連携したイベントの開催にも力を入れており、その一つが、「社会福祉法人 愛成会」との協同事業。

愛成会では、障害を持つ人々のアート活動を支援しており、彼らの作品を発表する場として中野ブロードウェイがスペースを提供。それが、毎年開催されている「アール・ブリュット展」です。中野ブロードウェイやサンモール商店街、中野サンプラザにて作品やポスターなどを展示するこの事業は、中野ブロードウェイ商店街にとっても、文化事業の大きな柱に発展しました。

 

1階より上はサブカル関連の店舗や高級時計店など外国人観光客や若者向けの店舗が多いのですが、地下は従来の商店街のような雰囲気。1階以上は空き店舗ゼロなのですが、地下は空き店舗も目立ってきているので、対策を講じています」と金子さん。

そんな空き店舗対策の一つとして、空きスペースを催事特設会場として活用。これまでに山梨県甲州市や山形県喜多方市などを誘致し、特産品販売などを企画してきました。

「今後の計画としては、日本の文化を活かした古民家+マルシェの企画を進めています」と話されます。

独自路線を確立した中野ブロードウェイ

続いて、青木理事長に中野ブロードウェイ商店街の運営や現状についてお話しいただきました。

 

中野ブロードウェイは10階建ての建物ですが、そのうち地下1階から4階までが商業施設、5階より上は住居で構成されており、建物の維持管理は管理組合法人が請け負っています。

「現在、昭和41年の竣工当時から営業を続けている人はおらず、オーナーとして賃貸をされているパターンが多いです。商店街に入ると会員として商店会費をいただいています。非会員でも出店できますが、パンフレットには名前を載せていません」と青木さん。

 

1階より上は空き店舗がないと金子さんもおっしゃっていましたが、それは常に待ち状態のため。テナントの新陳代謝がよく、常に埋まっている状態が続いているそうです。

「中野ブロードウェイは世界にも知れ渡っていますが、その特徴はコレクター向けの店舗が多いこと。自分たちが感じている限りでは、アニメとマンガの文化が今やサブからメインのカルチャーとなって世界に広がった印象があります。特にフランスが導火線となっています」と近年の状況について話されます。

 

また、「再販」という販売方法も、中野ブロードウェイの特徴といえます。

「昭和50年代頃から、まんだらけの社長は電車でマンガを拾い集め、それらを綺麗にして、ビニールをかぶせて売っていたんです。彼は漫画家を目指していたほどマンガに造詣が深く、確かな目を持っていたことから成功を収めることができました。メーカーがつくったものを、問屋を通して店舗が売るという売り切りのスタイルではなく、再販できるものをお客様は求めている。これからも再販の流れは続いていくと思います」と話されます。

 

時間の許す限りお話をうかがい、その後、お二人とともに館内を視察しました。

さすが「サブカルの聖地」といったマニアックなお店や、迷路のように入り組んだ通りにみなさん興味津々、見学を楽しんでいる様子でした。

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